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人間尊重と「強く・正しく美しく」の校風を基盤として、創造性と協調性にあふれ、実践力のある子どもの育成をめざす。広川町立広小学校

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広川町立広小学校
〒643-0071 和歌山県有田郡広川町広631
TEL.0737-62-2076


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広村堤防

□ 広村堤防(ひろむらていぼう)

広村は、古くから津波で大きな被害を受けてきた。そのため、室町時代に豪族畠山氏が、堤防を築いた。 
その後、安政元年十一月(1854年12月)、安政の大地震(安政南海地震)により、広村の339戸に被害をもたらした。  しかし、『稲むらの火』にあるように濱口梧陵は大量の藁の山に火をつけ、2次災害の「津波」から広村の村人を救い、死者30人に抑えることができた。
その後、地震から教訓を得た梧陵は、同志と大堤防の築造を計画した。そして、安政五年(1858年)に約3年10か月もの歳月を費やした大堤防の広村堤防が完成した。
堤防の完成と同時に植えた黒松とハゼノキの防潮林は、昭和二十一年(1946年)の昭和南海地震に起こった津波を食い止め、町を守るという重要な役目を果たした。
また、昭和八年(1933年)に広村堤防の傍へ濱口梧陵の偉業と徳を讃える感恩碑が立てられ、毎年11月に碑の前で津波祭が行われている。


濱口梧陵

□ 濱口梧陵先生

安政元年11月5日(1854年12月24日)夜、安政南海地震の津波が広村に襲来した際、梧陵は自身の田にあった藁の山に火をつけた。
当時の広村では祭りの準備中であり村人は危険を察知できなかったが、火災の際は村人皆で消火作業をすることが徹底されていたため、安全な高台にある広八幡神社への避難路を示し速やかに村人を誘導することができた。結果として村人の9割以上を救った(死者30人)。
津波から命を救えるかは、情報の伝達の速さが関わっているという教訓を残した。


津波祭

□ 津波祭(つなみまつり)

安政元年(1854年)の大津波により犠牲になった人々の霊をなぐさめ、かつ大防波堤を築いてくれた濱口梧陵らの偉業とその徳をしのび、広村の有志の人々が50回忌を記念して旧暦の11月5日に堤防へ土盛りを始めたことが、現在も行なわれている津波祭の始まりである。
開催は100回以上を数える。


稲むらの火の館

□ 稲むらの火の館

濱口梧陵の偉業と精神、津波被害の教訓を学び受け継いでゆくため、2007(平成十九)年4月、濱ロ梧陵記念館と津波防災教育センターから成る「稲むらの火の館」が誕生しました。


正覚寺写真

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